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こんにちは!
セッションインストラクター
の斉藤 彰広です。
よく
エンターテイメントの世界では、
究極の状態は「笑い泣き」である!
ということが言われます。
「笑い泣き」とは文字通り
笑いながら泣いてしまっている
状態の事を差します。
そして、
演劇でも音楽でも絵画でも
なんでも、
その表現を受けた人が
最終的に笑い泣き
してしまうような作品が
究極である!
という考え方です。
もちろん、
ボロボロ泣いてしまう事のみで
表現を確立している
ものもありますし、
げらげら笑うだけで
表現を確立している場合も
ありますので、
ケースバイケースではあります。
でも、単品の作品ではなく、
もっと大きな流れで見ると、
やはり「笑い泣き」が
究極であると思えてきます。
例えば、
名盤と言われる
CD(レコード)アルバムには、
大体、名バラードが
入っていませんか?
つかみのいい
ミドルやアップテンポの
ヒットシングル的な
ものが並ぶ中で、
大抵1~2曲、
名バラードが添えられています。
(逆にバラードが
ヒットシングルの場合もあり。)
これはまさに、
アルバムというトータルの表現だと
泣きと笑いをしっかり入れている
ゆるぎない証拠のように感じます。
また、役者さんの話によると、
泣きの演技は難しい、
心から笑う演技はもっと難しい、
笑い泣きの演技は究極に難しい!
というあんばいらしいです。
さらに言うと、
一番簡単な演技は、
「普通にまじめ」
だそうです。
「普通」というのは
逆に難しいらしいのですが、
「普通にまじめ」というのは、
感情の発露がほとんどないので、
超簡単な部類の演技らしいです。
そう言われてみれば、
技術だけあっても
面白くないミュージシャンは
みんな「普通にまじめ」です。
教則本をしっかりやらなくちゃ、
沢山フレーズをおぼえなきゃ、
恥をかかないレベルの
テクニックを身につけなくちゃ、
などなどという思考で
練習するので、
「普通にまじめ」すぎて、
全然面白くありません。
それは誰にでもできることだし、
自然と心が守りに入るので、
泣きや笑いといった
感情の発露はまったくなくなり、
結果、他人は少しも感動しません。
特に、「笑い」、
いいかえると
「ユーモア」や「ウィット」
というものを忘れ
たマジメプレイヤーは
全然人を惹きつけないし、
惹きつけないどころか、
周りをどんどん
遠ざけてしまう傾向が
あるように思います。
もちろん、
「泣き」を表現することも
100%不可能です。
そこで頭の中を一度リセットして
こう質問してみます!
『自分が笑い泣きして
しまうようなサウンドは
どんな感じ!?』
どうでしょうか?
こう考えると、
細かいテクニックや
現状の状態を忘れて、
今まで自分の中に培ってきた
様々な泣きや笑いの
音楽がまざって、
まさに自分オリジナルのサウンドに
意識が飛びやすくなりませんか?
今すぐはっきりと
頭の中にサウンドしなくても
大丈夫。
この「笑い泣き」という
アンテナを高く保ちながら、
日々生活していると、
ドンドン新しいサウンドが
耳に入り、
そして、近いうちに
自分のサウンドが鳴り始めます!
少なくとも
僕はそんな感覚を持ちました。
こう考えてもやはり、
「笑い泣きが
究極のエンターテイメント!」
という説は
信ぴょう性があるようです。
しばらくは「笑い泣き」を
意識しながら、
ガツンと日々を
グルーヴさせていこうと思います!
