「意外性」。
今までに見たことも
聞いたこともない事が
目の前に現れると
人はこれを感じます。
と思っています。(笑)
でも本当にそうでしょうか?
「意外性」というと、
+、-でいうと、
どちらかと言うと+の表現として
日本語ではとらえられますよね?
では「奇をてらう」は
いかがでしょうか?
こちらは意味としては
「意外性」とそんなに
違いがないと思いますが、
どちらかというと-の表現として、
日本語だととらえられていませんか?
意味内容はそんなに違いが無いのに、
+、-の含みが違う。
日本語は奥の深い言語です。
と、学のない
一ミュージシャンの僕が
言語論を展開したいのでは
もちろんなく。(笑)
今までにないオリジナルな何か。
+の意味の「意外性」を
多くの人は表現したがっています。
もちろん僕もです。
でも、なかなかそうは
問屋がおろしてくれない。
「意外性」になるのか
「奇をてらう」になるのかの
微妙なバランス!
これこそが表現の上で
オリジナルと感じるのか?
それともただの子供だまし
だと感じるのか?の
難しいところです。
そしてさらに言うと、
この難しさの根源は
「心意気」に関係している
ところです!
【どう弾くかよりも誰が弾くか?】
僕は前からこれを主張していますが、
これが表現の受け手にとって
かなり強力に善し悪しを決める!
と感じることが多いのです。
例えば、ローリングストーンズの
ミックジャガーが歌えば
世界中のスタジアムが
満員になるのに、
モノマネの人が
そっくりに歌っても
小劇場が埋まる止まりです。
もちろん
「人が入ればいい音楽なのか!?」
と問われれば、
僕もそうは思っていません。
でも、【誰が歌うか?】
は少なくとも音楽の価値に
一役買っているのは
間違いありません。
スーパースターは
普通の人が想像もできない
ジェットコースターのような
人生を送っている。
歌のうまさ云々よりも、
「ミックジャガーの
人生と存在そのもの」
にファンは強力に魅かれ、
価値を感じている。
こんな現状があるように感じます。
つまり、ミックジャガーが
ロックの新しい地平を切り開いた
アルバムを作れば、
それは「意外性」!
普通の人が
変化球的サウンドを出しても、
それは「奇をてらっただけ」。
なんだかずるい気がしますが、(笑)
そんなもの。
でも、もう一つ
「意外性」には隠れた
ポイントがあります。
それは
「全てをひっくり返していない事!」
冒頭で今まで見たことも
聞いたこともない事を見た時に
「意外性」を感じると書きましたが、
正確には違います。
本当に今まで
経験したことがないものを
目の当たりにすると
人間は「認識」すらできません。
思考がフリーズします。
「意外性」を感じるには
「今までの延長線で
理解できる部分が基本あって、
その上で真新しいオリジナルが
上手く溶けている!」
このバランスにならないと、
僕も含め、多くの人は
感じる事すらできないのです。
「意外性」と「奇をてらう」
の間に「認識すらできない」
という魔のゾーンが
表現活動にはある!
そんな本質をようやく
理解できるようになってきた
ここ最近。
人生は奥深く楽しいものです!
今日も一日ガツンと
グルーヴさせていきます!