

@@LASTNAME@@さん,こんばんは!Noriです!
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(今回のコラムは
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【ベース経験で可能性の広がる人】
何もベースに限った話ではありませんが,
音楽や楽器に興味を持つ過程やキッカケは
正直な所どんなものであっても良く,
むしろ音楽をやってみようとする
好奇心や決断力,そしてある種の勇気を
お持ちの時点で素晴らしい事と思います。
そして,私はむしろそこから音楽自体を
どう続けるかがポイントであると思っていて,
私もプロやアマチュアなどの立場など関係なく,
色々な奏者を拝見してきた過程で
気付いた点がいくつかあります。
まず,音楽全体を捉えようとする事で
周囲(聴き手や共演者の方々)に楽しさなどを
還元しようとする意思が
ある奏者ほど,周りに人が集まるという点です。
前述の通りベースは,この立場を体感しやすい
ポジションであるという意味でも,
サブ楽器としても十分経験しておく
価値のある楽器と言えます。
音楽は受け手の感想無しに
成立しないようなところがあって,
人が集まる事なしに音楽の発展は
難しいと私は常に思っています。
特に楽器に慣れていない時期ほど
自分自身のパート楽器にしか
興味を向ける余裕がないものですが,
その余裕が生まれてきた時に以下の
「他の楽器にも耳を傾けて全体に興味を持つ」
「周りに無関心のまま,自分の演奏を誇示する」
という選択肢の内,何を選ぶかで
その人の今後の音楽生活が
発展・繁栄の道につながるのか,
または孤立・破綻の道につながるのか,
簡単に想像できるのではないでしょうか?
【音楽全体を聴こうとする事の真の価値】
もう一つは,音楽全体や共演者の音を聴くことで
今の自分自身の演奏内容を適切に
取捨選択できる点があります。
演奏のテクニックを身につける程,
手段として多くを表現できるようになるので
あるに越したことはないのですが,
これには一つ落とし穴があって,
本来人間に備わる「承認欲求」は
人として健全なメンタルの状態を保つには
重要ではあるのですが,
問題はその承認欲求が暴走した時に
「テクニックを身に付ける事自体が
手段ではなく目的になってしまい,
賞賛を得るためにテクニックを
身に付ける事自体に依存するようになる」
状態になることで,
音楽を楽器間のコミュニケーションと
捉えるとすると,これでは一方的に
自分の喋りたいことを喋り続けることになり,
会話全体の盛り上がりを音楽全体のそれと
見立てる場合,音楽全体は盛り上がるどころか
時に崩壊してしまうリスクも上がります。
これはテクニック自体を「足し算」としてしか
捉えられないために起こる問題で,
(しかも多くの場合本人はそれを
「問題」と認識できていない!)
音楽全体を「俯瞰」した場合にはむしろ
「引き算」の方が大事な場合が多く,
会話でいうところの,相手が発言している時に
黙って相手の話に耳を傾けたり,
相手が喋りやすいように場の雰囲気を
調整しようとしたりというような
スムーズなコミュニケーションの場を
作るために必要な行動を選ぼうとする発想が
良い音楽には必要になってきます。
実際には体験頂いて初めて実感できる
部分ではあると思うのですが,ベースは
まさにそういった「空気感」や「相槌」の
表現に適しているので,
普段見落としがちな周囲の音と全体の音を
加味した上で,自身の音で必要な部分は足し,
不要な部分を削る判断力が磨かれ,
その結果,自分自身も共演者も聴衆も
良い感想を持てる「三方良し」の音楽ができ,
私は決して大袈裟ではないと思っているのですが,
こういった音楽環境が身近にあるほど,
日々の生活自体も人間関係の構築も
楽しい方向に向かう事で,
結果的にそれが自分自身の周囲の環境自体も
より良い方向に向かって行くと考えています。