
お気に入りに追加@@LASTNAME@@さん,こんばんは!
サラッと涼しい顔をして
高度な演奏をステージで
披露するプレイヤーを見たとき,
@@LASTNAME@@さんはどんな印象を受けますか?
感動や感銘,尊敬や憧れでしょうか?
それとも,羨ましさでしょうか?
はたまた,「自分には出来ない」という
落胆でしょうか?
「オールジャンルジャムセッションで,
ステキな音楽仲間と楽しく
音楽活動でコミュニケーションする!」
ミュージックコミュニケーションプロデューサーの
Nori Shinsawaです!
まだ私がベースを始めて間もない頃,
ジャコ・パストリアスや
スタンリー・クラーク,
ビリー・シーンや
フリーといった
数々のスーパーベーシストに
追い付きたいと思う反面,
それと同時に
「こんな凄いプレイをする
ベーシストたちに
到底追いつけそうもない」
という感情も
共にありました!
その結果,ベースの練習から
どんどん遠ざかって行ってしまいます…
このように,自分自身と
他の何かを比べようとした時に
陥ってしまう
「“比較”のメンタルブロック」
に悩んでおられるのは,
当時の私だけではないはず!
実際,名だたるスーパープレイヤーに
追い付こう・追い越そう!と
思っているうちは,
彼らもなお(存命であれば)
更に前を向いて
走り続けているわけですから,
それに追い付こうとするには,
彼らの何倍ものペースで
努力と行動を積み重ね,
尋常ではない速度で
走り続ける必要があります!
しかし,よく考えてみると,
追い付いたところで
結局はその人の“二番煎じ”
に過ぎないという現実が待っています!
突然ですが,私はよく
バイクを運転するのですが,
道路を走っていると
横から追い抜かされたり
後ろから追い抜かされたり,
はたまた私が追い抜いたりと,
あたかもレースのような
感覚に陥ることがありますが,
私も他の人もそれぞれに
目的地とスペックがあって,
みんなそもそもの条件が違います!
よく考えてみるとレースは
「スタートとゴールが一緒」
だから成立するのであって,
そもそも人はそれぞれ
(たとえミュージシャン間,
もっと言えば同じ楽器であっても)
スタートも違えば
目的地・目標も違うはずで,
演奏はレースではなく
「常に自分自身との戦い!」
人と比べる…という行為自体に
果たして意味があるのか…?
と,考え始めてからは,
ベースにおいても
人と比べる必要性を
全く感じなくなったので,
素直に自分自身の方向性に
集中することが
できるようになったのです!
何もビリー・シーンの
3フィンガー奏法が出来ずとも,
ジャコのような
フレットレスベースでの
超絶的な奏法が出来ずとも,
自分の感性に従って,
自分の思うように
ベースを演奏して行けばいい!
ということに気がつきました!
とはいえ,過去の自分自身とは
積極的に比較していくことは大事!
少しでも良いので,
過去の自分が出来なかったことを
今の自分ができるようになっていたら,
それが「成長した」ということ!
明日はこれを踏まえて,
レッスンで楽器を教える先生で,
どういう先生だと
生徒さんが安心して成長しやすいのか?
はたまたどういう先生だと,
生徒さんが萎縮して
余計にブレーキがかかりやすいのか!?
この辺りのお話を
動画配信したいと思います!
