

読者のみなさんこんにちは!
FTJS!ジャムセッション講座運営事務局の畠山です。
さてさて、今回は
【音痴は才能がないわけではない!?】
というお話。
音痴には3つのタイプがあるそうですね。
以前テレビかなんかで見ました。
一言で「音痴」と名付けてしまえばそれまでなのに、
3つのタイプ分けをすると途端に対処法が見えてきます。
楽器にも言えることかもしれませんね。
目次
●音痴には3つの原因がある
●センスは元々備わっているものではなく養ったもの
●やったことのないもののセンスはゼロベースが基本
●「まとめ」ちょっとやって出来ないと思ってしまうのは早い
【音痴には3つの原因がある】
音痴は大きく3つに分かれます。
リズムが合わせられない「リズム音痴」
音程が取れない「音感音痴」
音程が取れているのに声が上手く出ない「発声音痴」
だそうです。
※もちろん先天的な問題がある場合がないわけではありません。
こうやってみるとそれぞれ原因は違いますが、
音痴の原因の多くは
「それぞれの感覚を鍛える
トレーニングをしてこなかっただけ」
だと思うんですよね。
つまり、
音痴は才能の問題ではないと言えます。
【センスは元々備わっているものではなく養ったもの】
特に音楽的なレッスンを受けてないのに
歌や楽器が上手い人っていますよね?
いわゆる「センスがいい、センスがある」
と言われているタイプの人たちです。
そうやっていうと
なんだか「生まれ持った才能」のように捉えがちですが、
センスは元々は「感覚」という意味ですよね?
感覚は長年の経験で養われていくものです。
さきほどのように「トレーニング」って言うと
堅苦しく思いますが、
こういう人って昔から
「音楽に合わせて踊りを踊ってた」とか
「歌番組に合わせて歌を歌ってた」とか
「おしゃべりが好きで大声をよく出してた」とか
知らず知らずに反復練習をしていたんですよね。
そう、じつはこういう人たちの背景には
音楽的素養が知らず知らず養われるような
環境があったりします。
【やったことのないもののセンスはゼロがスタート】
たとえば、発声音痴なんかは
音が外れていることは自分で分かるので
恥ずかしくなって歌う機会を減らしたり、
小さな声で歌ったりするから、
ちゃんと発声して歌う機会を逃していってしまう。
ここで大事な発想は「相対評価」ではなく
「絶対評価」で自分を見てあげることです。
つまり、
「他人と比較するのではなく、成長前の自分と比較する。」
そうすると自分の中のゼロが見えてきます。
音楽の話ではないですが、
僕は球技が大の苦手で学生時代球技を避けてました。
中学1年生の時に体力測定なるものがあり
その中で「ハンドボール投げ」というものがありました。
記録は本気で投げて8メートル(
真面目に投げた人の中でおそらく最低の記録でした(笑)
剣道やっていたので肩が人より弱いということもなく
単純に「投げるコツ」が分からなかったのです。
“人並み”に投げる練習をしていないんだから
“人並み”
しかし、当時はそれがあまりにもショックで
やっぱり球技から遠ざかる日々を送ってしまいましたが、、、
自分を相対評価で見てしまい
「みんなよりも劣っている自分」が嫌で仕方がなかったのですね。
そんな僕でしたが、きっかけは忘れましたが、
中学3年生の時に仲良かった友達と2人で
バレーボールをつかった「チャッチボール」に熱中しました。
ひたすら遠くに投げ合うというシンプルな遊び。
そうやって遊び感覚で経験を積み、
8メートルしか投げられなかったハンドボール投げも
3年時には20メートルほど投げられるようになったのです。
(それでも男子の平均以下でしたが、、、笑)
【「まとめ」
自分の力にまだ自信が持てない時には
みんながみんな自分より上手く見えてしまうものです。
僕は逆に
「あ、あいつよりは僕の方が○○はうまいもん、へへん!」って
見栄を張るタイプでしたが(汗)
どちらにしても、
今の自分と、今の他人を同じ土俵に上げて
相対評価を下すこと。
音痴の話からだいぶ話が飛躍しましたが、
音痴だって原因があって、
それに合わせた直す方法があるように
センスは養われていくものです。
みんながみんな養って来たものが少しずつ違うから
ちょっと出来る理由、出来ない原因が分かりにくいだけ。
なので、
他人と比べて自分はセンスがないと
思ってしまわないで欲しい
そんなふうに感じた最近の話でした。
今回の内容が少しでも参考になれば幸いです。
みなさんの音楽ライフが
より豊かになっていくことを願っています♪
今回もお読みいただきありがとうございました。
執筆は畠山勇一。またね!